私が生まれ育った「山中温泉」の「菊の湯」は、かつては「総湯(そうゆ)」と呼ばれていました。
子供のころはシャワーなど設置されておらず、水しか出ない水道のからんがいくつか設置されているだけで、髪は湯船のお湯をすくって洗っていたんです。
今思うとトンデモナイことしてたもんだなあ(゜-゜)・・・笑
湯船の広さは現在の半分くらいで、しかもあの時代は家に浴室やシャワーがついてる家庭なんぞほとんどなかったから、毎日まさに「芋の子を洗う」混雑ぶりでした。
入浴料は、山中町民(のちに加賀市に合併し加賀市民となった)は驚異の「年間50円」!!
それがある年、一気に20倍になったんです。20倍とはいえ年間1,000円ですから、今にすればタダみたいなもんですけどね笑
高度経済成長の時代でしたから、まあ当然といえば当然。
昔は家にお風呂がなかったので仕方なく「総湯」に行ってはいましたが、何せ子供だもんで特に温泉の有難みなんぞ認識しておらず、入ればさっぱりしたなあ、くらいの感覚でした。
当時は「お風呂行ってくる」ではなく「お湯行ってくる」とか「湯行ってくる(ユーイッテクル)」と言ってましたね。
そして年配の方は湯船につかる前の作法として、桶で湯を汲み上げてタオルを浸けると、そのタオルを頭上に頂き一礼をする。
これを「お湯をいただく」と言っておりました。
教職員だった私の姉が、最初の赴任先の愛知県の学校で自己紹介がてらの挨拶をした際、この「お湯をいただく」話をしたところ、大変珍しがられた、と言っていたのをよく覚えています。
わたくしも歳を取りましたが、産まれた頃と変わらず、しかもハード面では衛生的で近代的に進歩した良質な温泉に今も浸かれることを、この上ない幸せ、と感じるようになりました。
今は、お湯に行っても「お湯をいただく」人は全く見られなくなりましたが、この感謝の気持ちを表すため、自分もこれからはお湯をいただいてみようかな、と思っている今日この頃です。